2008年1月7日月曜日

等伯の松林図屏風

ムンク展を見た後東京国立博物館へ。本館2階の国宝室へ直行、お目当ては長谷川等伯の『松林図屏風』です。(左隻 / 右隻
松林図屏風を見るのは今回で3回目かな(?)見る度にすごいなぁ~、とうなってしまいます。

遠目で見ると(屏風から5mくらい離れて)、湿った朝靄がまるで目の前を流れているように感じられるのに、すぐそばに寄って見ると松も靄も極めて大雑把にしか描いてない、驚きです。
松の枝は竹ぼうきでザッザッと描きなぐっただけに見えるし、松の幹は筆をスーッと描き下ろして墨がかすれていっただけに見える。靄の部分は墨がにじんでいるだけのようだし…
墨の濃淡だってアバウトな感じです。あまり考えずサッササッサ筆を走らせたように見える、そばで見ると下手クソに見えてしまう…

でも5m離れて見ると、そこに流れる空気が肌に伝わってくる、完璧です。どうしてこれが描けたのか本当に不思議です。目の前の画面に筆を走らせつつ、5m離れた画面を見ていたとしか考えられない…
このように描けるまでには、下絵を描いて描いて気の遠くなるようなシミュレーションを重ねたに違いありません。そして計算し尽くし一気に描き下ろす、気迫の瞬間芸です。

光の移ろいを画面に定着させようと悪戦苦闘したモネが、この空気の移ろいを見事に表現した絵をもし見て、これが自分より300年も前の日本で描かれたと聞いたらどんなに驚いたことか、そんなことを想像すると本当に愉快です。世界でも類のないほどアヴァンギャルドな絵だと思います。

この絵は是非実物で見てください。国宝室では14日までの展示です。常設なので600円でOKですし観覧者も多くなくゆっくり見られます。とってもお得です。

2008年1月6日日曜日

ムンク展

国立西洋美術館のムンク展に行ってきました。(展覧会は6日まで)
金曜日の午後でしたが、入場券窓口で10分ほど並び、会場は入場制限こそないものの2重3重の人波であふれかえってちょっとした通勤電車並の混雑、ムンクって人気あるんだなぁと再認識しました。

展覧会の案内によると今回の展示はムンクの作品の装飾性にスポットを当てたのが特色とか。<~のフリーズ>というくくりで章分けしてあって、メインで最も数が多いのは<生命のフリーズ>となっています。フリーズって凍りついてしまうこと?と思ってしまいましたが、調べてみると<frieze>、つまり日本流に言うと障壁画のことなんですね。
そう言われてみると、西洋では作品一つ一つを独立のものとして見ることがほとんどですが、日本ではふすまや屏風に描かれたものを一体として、その部屋の空間で見ることを昔からしてきました。
なんだ、ムンクが考えたことは日本人にとってはなじみの考え方じゃないかと気づきます。

で<生命のフリーズ>ですが、これはどこか具体的な空間を飾るものとして構想されたのではなく、人が生まれてから死ぬまでに起こる様々のこと、場面を次から次から絵にしていって、とりあえずアトリエの周りから壁からぐるりと取り囲んで置いてあったみたいです。
そして大量にある絵をどのように並べるかという構想スケッチを何枚も書いているのですから、少し笑えます。

出展されている作品をいくつか見てみましょう。
まず『不安』
有名な『叫び』と対をなす作品ですが、まず目に入ったのは人物ではなく赤くうねる空でした。ぼくはこの空を見て何の脈絡もなくオーロラを連想してしまいました。人よりよほど不気味です。ムンクにとって赤というのは大変シンボリックな色だと思います。血の色、たぎる情熱であり、流された血、死の色でもあります。赤く縁取られたフィヨルドの海も不気味です。

『声/夏の夜』今回ぼくが一番好きになった作品です。ムンク22才の時、恋に落ちた人妻をモデルに描いたそうです。この女性からは大変切羽つまった感情を感じます。ちょうどあらゆる色の光が混じると白くなるように、大声を上げて叫びたい張り裂けそうなあらゆる感情が混じって、コトリと音をたてるのもはばかられる凍りついた沈黙が支配しているようです。
木々は鉄格子のよう。恐ろしい… 背景の海だけ少し明るく、白い柱のように見えるのは海に反射している月影です。この白い月影は他の作品にしばしば現れるモチーフですが、登場の仕方を見るとこれは男女の官能、性愛のシンボルのように思えます。
またやはり他の作品を一緒に見て思うことは、海辺が生きていくうえで大変重要な場所だったということです。歌い踊って愛を確かめ、愛を交える場所だった。そして海を見つめ人生の思索にふける場所でもあった。ムンクにとって(ひょっとしてノルウェーの人にとっても)海と人生は深く結びついたものなのでしょう。

『赤い蔦』
実際に蔦がこんなに赤くなるかどうか知りませんが、これはやはり血塗られた家に見えます。何かおぞましい記憶が残る家なのでしょう。そしてこの家に比べ下のムンクの自画像(?)、ちょっとマヌケ顔じゃありませんか?
でもこのアンバランスさが妙に不安感をかきたてます。ムンクは幼いころ母親を亡くし、少年になったばかりで姉を亡くしています。2人とも結核だったそうです。この記憶がトラウマのような不安感となって、ムンクの心の奥底をいつも苦しめていた気がします。

『星月夜』
キンキンに凍てついた星月夜です。凍りついた(freeze!)空気を感じます。絵から少し離れて絵の冷気を感じたい1枚ですが、押すなへすなの状態ではそうもいきません。前にいた絵が好きそうな女の子達が「そんなに寄らないで、もっと離れて!って言いたいよね。画家じゃあるまいし、筆のあと見てどうすんの?だよ。離れて見たいよね。」と言ってたけど、実にその通りです。
で、ぼくは先年見たゴッホのやはり『星月夜』を思い出しました。同じ夜空に輝く星星を描いているけど印象は全然違う。ゴッホは昼間あれこれ思い悩み、汗水たらして働いて、つまり生きに生きて、そのご褒美としてこんな美しい星をみられるんだよ、そんな感じのする絵です。
でもこれは生活なんて関係ない、文字どおりfreezeした星月夜という感じです。そう思って改めて他の絵も見てみると、ムンクの絵はどれも動きがなく、その瞬間で凍っているような印象を受けます。
冗談みたいですが<frieze>じゃなくて<freeze>が正しかったんじゃないの、と言いたくなってきます。

後年、具体的な装飾の依頼を受けて描いた絵は明るいタッチのものに変わっていっていますが、やはりムンクの絵で見るべきものは、凍てついた不安な心で描かれた<生命のフリーズ>シリーズのものだと思いました。