2007年10月8日月曜日

蔡國華さんとの出会い

今日はぼくがARTを身近なものと感じるようになったきっかけである
蔡國華さんとの出会いについて書いてみたいと思います。

随分以前から美術館に通って絵をみたり有名画家の画集をパラパラめくったりする
ことは好きだったのですが、それ以上進んで何かするということはありませんでした。

1997年5月に地元の横浜美術館で開かれた「ポンペイ」展を観覧に行ったのですが
その会場を出たところに美術館ギャラリーがあり「蔡國華展開催中」と立看が
出ていました。

ぼくはこの看板をみて作家の名前を当時すでに高名であった「蔡國強」氏と勘違い
してしまい、ええっ、こんなところで蔡國強さんの展覧会をするのかぁ?、
火山に火薬かぁ?とか いぶかしく思いながら、ともかくこれは見なければと
ギャラリーに足を踏み入れました。

頭から硝煙くさいインスタレーションだとばかり思っていたぼくの目の前に飛び込んで
きたのは、畳一畳もあるほどの大きな合掌した手の肖像でした。この大きな手の肖像が 4枚正面に並んでいます。
蔡國華さんのHPにこの会場の様子が掲載されているので、まずこれをご覧になってみて ください。

 このページの一番下にある4枚の絵ですが、これを見た途端この手の圧倒的な迫力に目が釘付けに なってしまいました。
しばらく経ってこれはどうも「蔡國強」とはちがうゾと改めて作家名を見直し、そこに「蔡國華」と いう名前を発見したのでした。
まったく聞いたことのない名前でしたが、合掌した手の肖像はいつまでもいつまでも見ていたいと 思わせる力を持っていました。

この4枚はどれも年老いた皺くちゃの手です。
でもそれぞれの手の皺は全部違います。 そしてどの手の1本の皺もないがしろされず丁寧に丁寧に描き込まれています。
それを見ているとこの皺の1本1本が、その持ち主の人生を築いてきたそのものであることが 感じられ、文字通り「肖像画」だと思えるのです。
長い時間をかけてこのような皺を刻んできたそれぞれの人生に対して、かぎりない尊敬と敬愛の 念がこめられていることがこの絵から伝わってくるのです。
一人一人の長い人生の中で数限りなく起こったささいなことでも、その人にとってはやはり意味の あることなのです。

そしてその皺に刻まれた手が合掌している。それを大画面で描ききっている。
そこに人間の生に対する深い尊厳の思いが込められていると思いました。
会場にはこの他にも老人を描いた絵がありましたが、どの絵も対象への尊敬と愛情に溢れて いました。

人間が老いていくことをそのように描いた絵に今まで出会ったことはなかったので ぼくはそのことに感動し、その画家がどんな画家か知らないまま、今までそんなことを したことはなかったのですが芳名録に名をしるし会場を後にしました。
この後起こったことは次回しるそうとおもいます。

蔡國華さんのHP
ご参考に蔡國強氏のHP

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